今に至るまでを(昆虫を中心に)振り返ってみる。


【ご注意】
本ブログ史上最長レベルの記事になってしまいました。
ものすごく暇な時にでも読んでいただければ…(汗)






どうして昆虫に興味を持ち、採集や飼育を始めたのか。
このブログを読んでる虫好きの皆さんは、自身と昆虫に関する過去についてどの位覚えていますか?



絶望的に記憶力の無い私は、どうして昆虫にハマったのか、どうして今昆虫採集をやっているのか…いつの間にか忘れてしまっていました。
ただ何となく昆虫を採集して標本作って…いつの間にかそんな風になっていた気がします。

2015年夏、ヤノナミガタチビタマが昆虫採集を始めたばかりの頃を思い出させてくれました。
親が、幼い頃の自分の思い出を掘り返して見せてくれました。

おかげで、大体の流れを思い出すことができました。

せっかく思い出したので、今度は忘れないようにちゃんと書いておくことにしました。

あとは次の記事に繋げるための前フリ的な意味で、頭の中でごちゃごちゃになってる記憶を一回整理したかったので。





時は、15年ほど前までさかのぼります…


2001年__当時3歳。

記憶力には全く自信がないのですが、私がずっと忘れなかった数少ない幼少期の記憶の一つに、「一番最初に興味を持った生き物」というのがあります。
全ての原点ともいうべき存在です。



そいつの名前は____






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オカダンゴムシ

まず昆虫ではない(笑)

家の前の花壇とか植込み付近で見られるダンゴムシを集め始めたのが、生き物にハマっていく全ての原点だった。と覚えてます。
幼少期の記憶がほとんど消失しているのに、何故かそれだけははっきりと覚えています。むしろそれ以外3歳の時の記憶なんて何もないに等しい

最初はダンゴムシとかヤスデとか、そんなところからスタートしたんです。
家の花壇で見られて、動きもゆっくりな生き物。
今はヤスデは若干苦手になってるのですが…当時は気持ち悪さ、というものはそんなに感じていませんでした。

ダンゴムシ集める、と言っても飼育に成功した記憶はありません。
当時の私は生き物に対する接し方が今とは少し違いました。
ダンゴムシは潰す、ナメクジは指に引っ付けてぶん投げる、、、そんなことを平気でやってました。

残酷だとかそんな概念はなく、ただの「遊び道具」として生き物と触れ合っていたと思います。



3歳の時の虫に繋がる記憶は他にないんですが、

親が保管していた幼少期の物の中から、
この年の10/12に橿原市昆虫館に行ったという情報が。
(よく出てきたなこんなの…)

当時、母が先生に聞いた話だととっても喜んでいたとのことです。

当の本人はその遠足の内容どころか建物の外観すら覚えていません。行っていたことすら覚えていなくて、言われて初めて知った(笑)

もう一回行ったら何か思い出せるのかな…?


タイミング的には、昆虫に興味を持ったきっかけはこれだったんじゃないかという説が存在します。





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と言う事で行ってきたのですが、結局は昆虫館に行く前から昆虫に興味を持っていたことが分かったのみでした。

もしかしたら、何か昆虫にハマる決定打になったような出来事は無く、
身近な生き物と触れ合ってるうちに、徐々にいろんな種類がいる昆虫に興味を持つようになっていったのかもしれません。





2002年___当時4歳。

ここもはっきり覚えてる事があって、
私が「虫とり」を始めたのはこの年だった。ということです。



この年におそらく図鑑やら虫とりの道具やらを買ってもらったんじゃないかと推測してます。
初めての図鑑は…これ。




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学習図鑑 昆虫 (海野和男著)
発売したのは2001/05/01。

発売のタイミング的にも買ってもらったのはこの時期だと思いますが…

掲載種数はそこまで多くないですが写真が綺麗で、この図鑑をきっかけに綺麗な昆虫に興味を持つようになったんだと思っています。
“カンタン”に強く惹かれたのもこの図鑑の影響でしたが、出会うのは12年後になりました……(笑)


そして当然、

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グッときた。と思う。
こんな写真があってタマムシに惹かれない訳がない(笑)
ヤマトタマムシを知ったのはここからだったんじゃないかと思います。

この写真は幼少期に死ぬほど眺めた覚えがあります(笑)



身近な生き物から、昆虫へと移っていく途中…最初にハマったと思われるのがこの虫。

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コスナゴミムシダマシ
Gonocephalum coriaceum Motschulsky, 1857

ダンゴムシからこの虫へ、そして別の昆虫へと興味が移っていったのかもしれません。
こいつは網を使わずに採れる虫ですからね。





2003年___当時5歳。

幼稚園年長、だったみたいです。
だとすれば、この頃には完全に虫とり少年化していた(笑)

幼稚園の裏の草地ではコカマキリ緑色型が大量発生していて、よく持って帰ったのを覚えてます。

この頃に網を持って追いかけていたのは目に付きやすい虫が中心でした。
バッタ、カマキリ、トンボ、セミ、チョウなど…
これといって珍しい虫に出会った訳ではないけど、つまらないと思ったことはなかった。

奈良県のド平地、ド市街地(埼玉より都会ではないけど市街地…超市街地)で育った私には雑木林というものが(当時の自分の行動可能な範囲内には)全くなかったので草地性の昆虫が中心にならざるを得ませんでした。

しかし実際には、当時の自分には随分遠くに思えていた山は自転車わずか30分程度で行ける距離でした(笑)
そんなこと知るわけが無かった(笑)
(多分知ってても当時の自分はそんな見知らぬ土地に一人で行く勇気は無かった)

当時の私がメインの採集場所として利用してたのは、住宅地のど真ん中にある「月極駐車場」でした。


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小石が敷かれた地面の、車が多く通らない部分に僅かに雑草が生えている程度の虫が薄そうな状況。
そんな中、車にぶつからないようにしながら網を振っていた……

見た目は付近がより市街地化した今改めて見ても絶望的ですが、侮れない場所でした。
水辺が付近に全くないにもかかわらずギンヤンマがパトロールしに来る場所であったり、
褐色ハラビロに奈良に住んでいた期間中唯一出会えた場所だったり、柵の朽ちた部分からチビクワガタを見つけたり、
ちょくちょくトノサマバッタが採れたり(自宅周辺では割と貴重)
ノミバッタもこの場所で唯一見れた虫です。

基本的には、飽きもせずにウスバキトンボとカマキリばっかり採ってた記憶があります(笑)
(虫とり時代に一番捕まえた回数が多い虫は「ウスバキトンボ」で間違いないと思います)


まあそんな感じで基本的には草地性でかつ目に付きやすい虫ばかり採っていたため、甲虫には全然出会わなかった気がします…
探し方も全然分からなかったし…


捕まえてきた昆虫に関しては、基本的に持って帰っていた気がします。
カマキリとかコオロギとかは割とまともに飼育した記憶があるんですが、それ以外は…餌の与え方が分からない虫は基本的に餓死させてました(汗)

死んだ虫は家の玄関開けてすぐ横の死体置き場に積み上げます。
そこにはカラカラになった昆虫がたくさん積み上がってえげつない光景が完成してました。
当時の私には可哀想とかいう感情が全く無くて、なんとも思っていなかった。

「(虫が)捕まえられて可哀想」って親に言われたら、

「うるせえよ」としか言わなかった(笑)
今思えばこの時から、

「可哀想」は楽しい虫とりを壊す邪魔な考えみたいな意識があったのかもしれませんね…





2004年___当時6歳(小1)。

この辺りから若干話の時間軸がブレてきますが…


小学生になりました。
より大きな図鑑を買ってもらいました。

前の図鑑からボリュームが大幅に進化!

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どうやったらこんなにボロボロになるんだって位にボロボロです(汗)

この図鑑で、ヤマトタマムシ以外のタマムシを少しだけ知ります。
採れそうだなって思えたのはクズノチビタマ位でしたが、結局採れたのは12年後……(笑)



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簡易的な標本の作り方なんてものも載ってましたが、当時の私はお金を使うという発想がないので到底出来ないものでした。親に頼む事はぶっちゃけ無駄だと思ってやらなかった(笑)

今改めて見ると、ラベルをつけるっていう一番大事な所が抜けちゃってますね……標本じゃないだろこれ(汗)
この図鑑は新版もわりと最近出たみたいですが、ここ改善されたんだろうな……?



この頃私は、小学校でできた友達や近所の友達と虫とりをする日々。
考えてみれば、当時仲良かった人はみんな一緒に虫とりやってくれる人たちでした。
ゲームは1日30分とかいうふざけた利用制限がかけられている以上、誰かと遊ぶ時は基本的に私は虫とりしかできないのでみんなを巻き込んで虫とりをやっていました。


小学校では小2と小3(確か)の学活の時間にそれぞれ一度だけ“虫とり”という授業があった(笑)
(風邪引いて休んで絶望したような記憶がある)

今でも「虫とり」の時間とかやってる小学校ってあるのでしょうか…
私の通ってた小学校では虫とりする子どもも少なくは無かったはずなので、学校側もそれに対応して教室の中にみんなが採ってきた虫を入れられるような虫かごを設置していました。
(多分どのクラスにもあったと思う)

棚のような大きなもので、
正面に扉、サイドはそれぞれ金網、ケース下にはトレイ的な引き出しがついていて糞やらなんやらの処理が簡単に行えるという無駄にガチな仕様だった(志賀製で同じタイプがありますが、一個の値段は一万円を超えてます)

そんなガチな虫籠に、クラスの人たちが色んなところからとってきた虫をまとめて入れていた。
バッタ、カマキリが中心。ウバタマムシを持ってきた人もいた…



ちなみに、クワガタが簡単に入手できない(小学生の行動範囲内)状況下で子供たちに特に人気だったのは「カマキリ」でした。

カマキリの人気は凄まじくって、当時の自分がハマってた虫もやっぱりカマキリ(特にコカマキリ)でした。
(タマムシは出会いたいけど出会えない遠い存在だった)
それなりに樹木があるような場所で生活する‘オオカマキリ’は地元では大珍品で、捕まえてきた人がいたら羨ましくて仕方がないような存在でした(笑)
次に少ないのはハラビロカマキリで、採れるとすごく嬉しい虫ってイメージが強く残っています。
図鑑には、まれに「褐色型」が出現すると書かれていて、いつか出会う事を夢見ていた……



そんな感じで、覚えてるのはこの頃はまだ虫とりをする人が少なくなかった学校側も虫とりに対して今考えてみれば結構積極的な対応だったってこと。
基本的に運動も苦手でゲームの話にもまるでついていけない自分は、虫関係の話でしか人と接することができなかったので、昆虫少年が少ないと感じにくかっただけかもしれません…





2005年___当時7歳(小2)。

確かこの時期だった。

「ムシキング」が流行ったのは。

ムシキングが多分一番流行った時代に、もっともプレイ者が多い層にいた人間です(笑)
同い年の人にムシキングをやった事があるって人が結構いるようで…


近くで見つかる昆虫で喜んでいたはずのみんなは、カッコいい外国のクワガタ、カブトに惹かれ、
それらをいとも簡単に親に買ってもらって飼育することで満足してしまい、
その辺でわざわざ虫とりをするような人たちは激減したんじゃないでしょうか…

当然、成長とともに虫とりする人は減っていくものなので、
全てがムシキングのせいではないのかもしれないけど……



私も、虫好きの一人としてやっぱりムシキングをやりたいと思ったことがあった。
案の定、ゲームに関してやたら厳しい親のせいで全くやらせてもらえなかった(自分にも非はあるけど)

周囲の人の口から出てくる言葉は、

「マンディブラリス」
「オウゴンオニ」
「ニジイロ」
「パラワンオオヒラタ」
「ダイオウヒラタ」
「コーカサス」
「ギラファノコギリ!!」
「ヘラクレスリッキーブルー!!!」


何言ってんだよ……


話についていけなかった…


少なくともそこらの人より多少虫に詳しい、と思い込んでいた自分には辛い仕打ちだった。
虫の話をしているのにそこに入っていけない。

ムシキングが流行する中で自分は、未だにバッタやトンボやカマキリを採る日々を続けている。
退屈なわけではない、はずだけどなんかモヤモヤしていた……

しだいに、多くの人から身の回りの虫に目を向ける機会を奪ったムシキングを…外国産カブクワを憎むようになります。
(ひどい八つ当たりだと思いますが…)



私のことを「虫博士」と呼んでくる人もいた位で、虫好きってある程度認知されていたのでムシキング絡みで意味不明の外国のクワガタカブトの話をしてくる人も結構いました。
ムシキングの話を振られたら、

「虫を戦わせるなんて何が面白いのか分かんないね!!」

「虫は採るものだから!!」


こうやって、冷たく返していたような気がする。
金を使って遊べるのが羨ましい。
金を使って簡単にクワガタを買ってもらえるのが羨ましい。
憎たらしい………

ただでさえ、最新のゲームの話についていけないという状況なのに、(時間制限、所有数制限がかけられている)
本来得意なはずの昆虫でさえ、周りに置いていかれてしまうことが悔しくて仕方がなかった。


これが原因で、私は外国産の昆虫に対して嫌悪感を抱くようになりました。
買ってもらえない外国の虫に興味を持つこと自体が馬鹿だと思うようになった。
どのみち、飼育もまともにできやしないだろうって。
そうやって納得するしかなかった。


この時に外国産昆虫とのあいだに作ってしまった壁は今も残っていて、正直未だに外国の昆虫には手を出そうと思えない状態です…
パプアキンイロとかニジイロとか、綺麗っていうより違和感が強くて飼いたいって思うこともなくて、
「きらめく甲虫」を読んでも、日本の昆虫と比べて圧倒的な差を感じるだけでやっぱり良さが分からなかった…

たとえタマムシであっても、やっぱり何か違和感を感じずにはいられないんです…


このまま…目を背け続けてていいのか?って思うことはあるんですけど…





2006年___当時8歳(小3)。

小2くらいの時点で持ってたのかもしれないけど…
この頃は買ってもらったインスタントカメラで虫の写真を撮ってた時期です。


最近、やっとカメラ屋に持って行って現像してもらったんですが、これがまあ酷くて(笑)
少しだけご紹介(笑)





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ギンヤンマです(汗)

接写ができないことを理解していないので、どの写真もピントが合っておらず、なぜかフレームアウトしてます(汗)



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上がオニヤンマ、下がコオニヤンマです(おそらく)
(つかまえた場所は南部の山地の方だと思われる)

コオニヤンマに関しては、どういうシチュエーションで出会ったのか全く覚えていない(笑)
(いつか出会っていたってことと、多分自己採集だったってことだけ)

まだ当時の私はオニヤンマの自己採集を成し遂げていないので、これは父親が採ってきたやつだと思います(汗)
父親は何度かオニヤンマを魚用の短い網、あるいは素手で捕まえて持って帰ってきた(笑)
虫とり網で立ち向かっても全く歯が立たなかった当時の自分からすると、本当に信じがたいことで…

この頃は奈良の南部にある父の実家周辺でオニヤンマを捕まえようと頑張っていたようないないような…
ヤマトタマムシが憧れの存在なら、オニヤンマは宿敵みたいな存在でした(笑)

当時の私は将来の夢を、
「オニヤンマとタマムシをとる!!」
と答えてました。
それだけ当時から2種に対する思いが強くて、今でも自分の中では他の昆虫とは違う位置にいる感じがします…



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左上: モンシロチョウ
右上: 不明(クビキリギス、クサキリとかその辺?)
左下: アカタテハ
右下: ツクツクボウシ

こういう虫ばかり採ってました。
ほんとに、甲虫は全然ないんですよね(笑)

別に珍しいわけでも採りにくいわけでもない虫の写真を撮っていたのは訳がありまして…
昆虫の写真撮って、捕まえた昆虫をどんどん載せていく図鑑的なものを作ろうとしてた事がありました。
写真と文章で、虫の記録を残すこと。

文章もヘッタクソだし、写真もご覧の有様だけど…
思えばこの頃から、ずっとこういう記録みたいなことが__ガチっぽいことがやりたかったんですよね…(笑)



この時からやりたかった事が今ブログって形で実現してるんですね…
不思議な気分です…


そして、多分この年だったと思うけど……

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ハラビロカマキリ褐色型


遂に出会えた、褐色型。
もうめちゃくちゃ嬉しかった。だけど…このカマキリとはすぐ別れる事になると分かっていた…
だから写真だけは残そうって思って撮ったんだった…

当時の私は、昆虫の盗難被害にあっていました。(笑)
採ってきた虫が全く面識のない下級生に毎日のように奪われる。
室内への昆虫の持ち込みが禁止されていたためどうすることもできず…ハラビロカマキリも捕まえた翌日に犠牲になりました。

なんやかんやあってその年のシーズンが終わるまでには解決したような、してないような…



【夢が一つ叶った日】

2006年8月16日。当時8歳(小3)
日付も場所もしっかり覚えています。

だからこそ、とても後悔しているんです…



毎年恒例になってた埼玉の母方の実家へ行くイベント。
プールに行こうって話になって、車で行くことにしたんですが、

「網を一応持ってく!」

絶対使わないはずなのにトランクに何故か網を積んでもらう(笑)




プールに向かう途中で寄り道をしました。

そこで親が

「あれタマムシじゃない?」

上空を飛ぶヤマトタマムシに気づいて、

私は全力ダッシュして車のトランクに網を取りに戻る。


網を持って猛ダッシュで戻ってきた、ちょうどそのタイミングで____








目の前に、ヤマトタマムシがゆっくりと降りてきた。


全神経を集中させて網を降り、一発でネットイン。







「よっっっしゃあああああああーーーー!!!!!」

大絶叫だった(笑)
周りに人がいたかもしれないけど、いやいたとしても御構い無しだった。

自分でも、あんなデカイ声が出せたことにビックリしてしまったくらいだった(笑)


人生の中で、忘れられない瞬間の一つです。

当時はすでにケータイがあって(写真と親との連絡程度の使い道)
念願のタマムシの写真や動画を撮りまくりました。


奈良の家に持って帰って、桜の葉っぱをあげてみたけど全く食べずに結局数日で死んでしまいました。

死んでしまったタマムシを、記念っていう形で手元に残すことに。

展足もろくにしていないし、ラベルも無いものですが、自分にとってはたった一度しかない
「初めてのタマムシ」のはずだったんだ……



小3位になってくると、親がプレッシャーをかけてくるようになりました。


「虫とりは4年生で卒業だね」

「虫とりはいつやめるの?」



当時の自分は虫とりを失えば何も楽しみのない生活になってしまう状態でした。
でも親は私に虫とりを、強制はしないもののやめさせようとしているのは感じていました。
「虫とり」はガキっぽい趣味だって自分でもよく分かってたから。







2007年___当時9歳(小4)。


埼玉への引っ越しが決まります。

埼玉県。

東京の上。


「ここ(奈良)よりも、もっと虫が少ない場所のはずだ…」

引越し先では周りの人も自分のこと「虫好き」なんて認知してないから、もしかしたら笑われるかもしれない。
もう、今までみたいに虫とりを続けるのは無理かもしれない。
むしろそれでいいのかもしれない、と思ってました。


引越しの荷物を整理していた時に、父親が私に聞いた。

「タマムシ(死骸)は持ってくか?」


「いや…捨てちゃっていい」

(もう、虫は卒業しなければならないんだ、とか思ってたのかな………)



____こうして私は、少しずつ虫とりをやめていくことにした。


何を思ったのか、人生でたった一回しかない初採集のタマムシを捨ててしまった。
…物凄く後悔してる。物凄く、物凄く物凄く………

虫とりの道具は今まで一緒に虫とりに付き合ってくれた友達に譲った。
案の定、友達は私がいなくなってから虫とりとかする機会がめっきり減り、久々に再会した時に虫が苦手になっている人もいて地味にショックだった(笑)
(今まで自分がみんなを虫とりに付き合わせてたことを自覚させられた瞬間だった)

虫とりをやめ始めて、他の事に興味を持ち始めます。
一番ハマってたのがトカゲ(カナヘビ)を飼うことでした。
あとは若干、川魚にハマった時期もあった。
鉱石採集にハマりそうになった時期もあったけど、金の問題で道具が揃えられなかった(笑)

小4辺りは、友達も巻き込んでずっとトカゲばかり探していた気がします。
(結局、やってること全然変わってないんですけどね…)





2008年___10歳(小5)。


ここで、奈良のド平地から埼玉のド平地へ引っ越してきます。
埼玉へ来てからも、相変わらずトカゲ(カナヘビ)は飼っていましたが、虫網を持って住宅街をうろついたりすることはさっぱり無くなりました。
そういえば最初の一、二年はエンマコオロギも飼ってました。(奈良の時も飼ってました)
コオロギは近場で採れるし網も特に要りませんでしたから(笑)
(トカゲもコオロギも、採卵までは成功してもその後がどうしてもダメでした)



【夢が終わった日】

2008年8月18日。

こちらも日付も場所も、しっかり覚えている。
つもりが、色々間違ってた(笑)

宿敵、オニヤンマと決着がついたのがこの日。
ちなみにこれも埼玉県だった(笑)



祖父に適当に連れていってもらった場所で偶然にもオニヤンマを発見し、待ち伏せ。



「あっ!来た!!」



バシッ



「あれ……?もう終わり???」



あまりにもあっさりと勝負がついてしまって、驚きのあまりろくに言葉が出なかった覚えがある(笑)
ケータイで写真を撮って残し、その後はリリースしました。



___全てが終わった。

当時の私は“まだ”将来の夢を、「タマムシとオニヤンマを自分でとる!」
と言っていた。
最初は「昆虫博士」とか言ってた時期もあった気がするんですが、自分でもあまりに現実的じゃないなって思ってたので変えたんです(笑)


オニヤンマもタマムシも採った。

つまりこの瞬間、夢が終わってしまった。



ちょうどいい区切りなのかなと、思いました。

これ以上、虫とりを続ける意味がなくなった。
追い求める虫が、もういない。

もちろん、図鑑に載ってる虫の中で魅力的なものはたくさんいるけど、

到底出会えるものではないと勝手に思い込んで諦めていた。



ちょっと記憶が怪しいですが…
この年だったか次の年だったか、「近場でクワガタが採れる場所」を近所の人が教えてくれて、人生初の樹液でのクワガタ採集を成し遂げます。
平地でクワガタが採れることが信じられなかった(笑)

結局、奈良に住んでた頃ほどではないにしても虫と関わることはあって、虫とりは止めきれてないところはあったと思います。





2009年___11歳(小6)。

友達と遊んでも、相変わらずゲームも出来ないのでいつも横で眺めるばかり。
見かねた友達に勧められて、この年から遊戯王を始めました(笑)
ここから、メイン趣味がカードゲームに移行していきます。
月の小遣いのほぼ全てをカードへ注ぎ込み続けました。

遊戯王のおかげで、趣味に思いっきりお金を注ぐことを覚えました(笑)
(それまでは全くお金を使わない遊びしかしてこなかった……)




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ちょっと怪しいんですが、御神木の力に気がついたのはこの年だった気がします。
(団地にある自宅から徒歩30秒もない位置にあるコナラの木)
確か一学期の終業式の日とかで、朝学校に向かう時になんとなく目に付いたので見てみると、

ノコギリクワガタ♀
コクワガタ2♀



目を疑いました(笑)


山に行かなければ採れない…と思っていた虫が目の前にいること、
自宅のすぐそばにいること(笑)

学校に持って行くのも変なので捕まえられずスルーしてしまいましたが…


後に、その木が樹液の出る木の一つである「コナラ」と知って(樹液を出す木の区別さえできなかったのです…)
友達と一緒に夜にこの木を訪れてコクワガタの採集に成功し、この木にクワガタが訪れる事を確信しました。
この時、当たり前のように樹皮を剥がしてクワガタを採ってしまったんですが、そのせいで樹液が止まってしまい、それ以降は2012.06.26までクワガタを見ることが出来なくなってしまいました。
(樹皮を剥がすと樹液が止まるのを知ったのはこの時です………)

御神木が本気を出すのはまだまだ先でした(笑)





2010年___当時12歳(中1)。

中学生になりました。


この辺りからは比較的記憶に新しいし、ケータイを使って写真とか撮りまくってた頃です。
それをケータイの写真やメモに残したりしたんですが、

データが消えました。(1代目)


初めてのヤマトタマムシ、オニヤンマにつながるデータはこの瞬間に全て消し去られた。



相変わらずカナヘビの飼育と奈良から送られてくるクワガタの飼育だけは続けていました。
遊戯王にどんどんハマっていき、生き物の飼育はだんだん雑になっていきます。


この頃やっと、生き物に対して情が湧くようになりました。
これまでは、遊び道具としてぞんざいに扱ってきた虫も多かった。
奈良に住んでた時は土葬をした記憶が全く無く、埼玉に来てからは捨てる場所がないのでやっと土葬を始めた位でした…
(奈良に住んでた時も、さすがにゴミ箱に放り込んだりはしなかったけど)


初めて情がわいたのは、日光浴中のトカゲを捕まえようと思った時。

「その日から、捕まえられた者の生活は狂わされる」
「平和な日々は突如終焉を迎える」


そんなテロップが唐突に頭の中に流れてきて…

卵を産ませるまではいけるけど、孵化に成功した事はない。
越冬させるところまではいけるけど、翌春まで生きた個体はいない。

今の自分は、力不足すぎる…
飼育しても、こいつらは絶対に幸せになれないし報われない……


まともに管理できないのなら、生き物を飼う資格なんてない。



とかなんか色々考えてしまって。

ちょうどこれに近い年だったと思うんですが、家族で飼っていたインコを亡くしました。
原因は全くもって不明。まさしく突然の死でした。
(最近知ったものですが、鉛中毒とかが怪しい気がします…)

インコも、飼い始めた最初こそは家族のみんなで可愛がっていたけれど、
エサや水換え、ケージの掃除はめんどくさがってみんな進んでやりたがらなかったし、
言葉を覚えさせようとしていたのも最初だけで、気がつけばほとんど放置になっていたんです。

死ぬ前の日も、少し様子がおかしかったみたいなんですが、私はそれすら気がつくことができなかった。


インコが死んでしまってから、悔やんでも悔やみきれない後悔と申し訳なさでいっぱいになって、

自分が今まで、色んな生き物に対してやってきたことの残酷さに気づくことになりました。




目を閉じてとっても気持ちよさそうに日光浴してたトカゲを、とても捕まえる気にはなれませんでした。
しばらくして、トカゲの飼育もすっかりやめてしまいました。

自信がなくなってしまったんです。


生き物から距離を置き、ひたすら何も考えずに遊戯王にお金を注いでいくだけの毎日です。

それでも年一回の奈良帰りや、奈良からクワガタが送られてくることもあって集まったクワガタは中ケースでまとめて飼っていましたが…
クワガタに関しては採集するのが楽しかったわけで飼育が楽しかったとは言い難い。
ていうかあれは飼育ではない。

でもその場で逃したら採った意味ないし、なんかもったいないからとりあえず持って帰って…みたいな惰性のみで続けた飼育でした。(標本って選択肢はまだ無かった)



これもこの年かその前の年辺りか、記憶が曖昧なんですが、
もはや生きる糧になっていた、1日30分のゲームがついに生涯禁止にされました。
(ルール無視してやったため)

当時の自分にとっては1日30分のゲームは毎日を生き抜くために欠かせない娯楽だった…(笑)

それから、毎日がつまらなくなった。

夢もなければ生きる糧になるささやかな楽しみもない、辛い日々だった…
のは最初だけで、一週間もすればゲームなしの生活にすっかり慣れてしまった(笑)


つまんない人生だな、変わりたいなとか初めて考えたのはこの頃だったのかな…(笑)





2011年___当時13歳(中2)。


この年から一気に変わっていく…
自分を大きく変えてくれたのはやっぱりあの虫でした。


2011年8月。

記憶力が本当に無い私が、昨日の事のように思い出せる数少ない例。

ある日、タマムシを拾った、との事で奈良から送ってもらいました。
その日は37°Cを超える猛暑日でした。

夏休み真っ只中で、中学の部活にいく準備をしていたら家にタマムシが届く。
家を出るまで残り15分。

久々のタマムシとほんの少しだけ触れ合った後は、
(この、タマムシと触れ合った数分が頭の中に焼き付いて離れない…)
急いで調達した桜の枝葉を瓶に挿して、虫かごにタマムシを入れる。


そして。

当時、トカゲ(普通にその辺で見られるものに限る)の飼育をやっていた影響が出てしまったのかもしれません。



「タマムシは日光に当ててやった方がいいんじゃないか?」

何故かこんな考えが浮かんでしまった…



「いや、さすがに暑くて死ぬかもしれないな…」


「あっやばい、もう部活行かないと!!」
「日陰と日向の中間くらいに置いておけばいいや!」

日が傾いたら、どうなるか。
どういうわけかそんな事が想像できなかった…



確かに一時は屋内での昆虫飼育が禁止された時期があったけど、この時はそうではなかったはずだ。

何故この時……一番安全な策を取らなかったのか。
一時的にでも室内に置くという発想が出来なかったのか。

何度この光景を思い出してその度に後悔したか分からない。

でも当時の自分からすれば、本当にただ、良かれと思ってやっただけのことだったのかもしれない…



色々な事のタイミングが悪くて、判断を誤ってしまった。
そんなの言い訳にもならない。


自分の判断が間違ってたと気付いたのは部活が始まってから。
どうしようもなかった。

部活から急いで帰ってきて、夕日に照らされたケースの底にひっくり返っているタマムシを見た。
忘れらない、トラウマのようなものとして今も時々思い出すことがある…



タマムシの死骸が入ったケースを自分の部屋に運んで、
ほとんど放心状態で、気づけば床にぶっ倒れていた。



床に倒れてる間に色んな思いが頭を巡ったのを覚えています。





何も、出来なかった。
生きているうちに写真を撮ることさえ出来なかった。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、と何度も口にして謝った。


そして知った。
自分が全然、昆虫を知らない事を知った。


名前を知っていただけだ。
虫を見て、名前が出てくる。ただそれだけだった。

その虫の食べる植物があったりするけど、その植物についてはよく知らないことがほとんど。
生態を知らないし、出会い方を知らない虫がたくさんいる。

昆虫図鑑に書かれてる文字情報がそのまま頭に入ってるだけに過ぎなかった。


昆虫に関しては、そこらの人よりも強いって思ってた。
何を勘違いしていたのだろう。


自分が一番好きな昆虫に、何をしてやればいいのかも分からないってのに……



食べている植物について、名前しか知らない。
この時はまだ、ケヤキもエノキも自宅のすぐ前に生えていたのに、分からなかった。
しかもまだサクラを食べると思ってた…


捕まえる確実な方法を知らない。
(材に来ることも知らない、産卵に来る材…立ち枯れとか朽木という概念すら無かった)
エノキの高いところと言われても、エノキの木が分からない。


考えてみれば、他の昆虫にも思い当たるような節が多すぎる。

今まで自分がやってきたのは昆虫採集なんかじゃねぇ……
行き当たりばったりでたまたま出会った虫を捕まえた、ただのお遊びの虫とりなんだ…


よくもまあ、今まで何の恥ずかしげもなく、
周りの人に「昆虫博士」とか言われて自己満足に浸って入られたよなあ!?


無知で無力だった、その結果わずか数時間で元気だったタマムシを死なせるに至った。
色んな昆虫を飼育してきたけど、こんなにも心が痛かった事は無かった。


タマムシは、自分があまりにも無知だった事を教えてくれた。





無駄にしたくない。
こんな思いをしてそのまま終わりにできるわけない…

そしてこの時に、自分にはまだできることがあった事を思い出します。

標本を作って残す


それも、ちゃんとした標本にして残せば、タマムシも多少報われるのかな…と。



当時の私は標本の意味をまるで理解していなかったんですが、
埋めて全部忘れてしまうよりは、タマムシからしてもマシかもしれない、と思ったんです。

…実際の所は、あまりにも早く死なせてしまって、
別れが惜しいから手元に残したいってのもあったと思います。
(過去に一度、タマムシを捨てておきながらも…やっぱり後悔していたから)


この失敗を忘れないためにも。
自分への戒めのような気持ちで、標本を作る事を決意しました。

ラベルとかも、作り方はめちゃくちゃだけどとりあえずつけて、
「標本」と呼べるものを作れたのは、人生でこの時が初めてでした。


この年から、飼っていた昆虫が死んだ場合に標本を作ることに決めました。


最初に標本にしたのはゴホンダイコク、タマムシ、ネブトクワガタ♀(一年間スジクワだと思っていた)で、
ゴホンダイコク(奈良の灯下で採集)は何故か紛失しましたが、最古の標本として、あれから5年以上経った今もまだネブトとタマムシは残っています。

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あくまで拾った虫や飼っていて死んでしまった虫の標本を作り始めるだけであって、最初は昆虫採集を始めようなんて思ってはいなかったんです。

これまでにブログ内で私が昆虫採集にハマったのは、
・タマムシがきっかけ
・ご神木覚醒がきっかけ

とか色々言ってきた気がしますが少し違ったかもしれません。


決め手となったのは、ある本に出会った事だったと思います。











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ぼくらの昆虫採集
(この際なので買いました)

この本から始まったんです。やっと思い出せました(笑)
標本を作ろうって言ったって、知識ゼロの状態からのスタートです。
当時何故か図書館に行くのにハマってた私はパラパラめくったこの本に「標本を作る」って項を見つけて即借りて帰りました。

でもこの本に書いてあったのは「標本の作り方」だけではなかった…

前半部分に書いてあったのが、生まれて初めて見る採集記というものでした。
採集に行ってきて、出会った虫などにまつわるエピソードを写真と一緒に振り返れるものです。

別に必要のない情報だ、と思ったにも関わらず気づけばその項を夢中になって読んでしまっていて……
自分も採集に行ったような、懐かしい気分を味わいました(笑)



普通の人には到底想像できない昆虫採集をやる人達を、虫屋と呼ぶ。
「ネキ」とかいう奇妙なカミキリを狙ってたくさんの人達が南の島に集結。
網がめちゃくちゃでかい。
虫かごを使わない。
登場するのは図鑑でも見た記憶のない意味不明なカミキリムシばかり。
何故かオマケみたいな感じで出てくるアヤムネスジタマ(笑)
カミキリが人気……?????


自分も一人の虫好きなのに、最初は理解できない衝撃的な事ばかりでした(笑)

「これが、本当の…ガチの昆虫採集なのか……!!」

完全に、未知の世界。
私の知ってる昆虫採集、お遊びの虫とりはどこにも見当たらなかった。



でも、正直な感想は___



大人の昆虫採集、すっごい楽しそうじゃん!!

でもこの時はまだ、昆虫採集を本格的に再開するつもりは無かったと思う。





2012年___当時14歳(中3)。

昆虫採集、開始の年。

高校受験の関係で、周囲の人たちが次々と遊戯王を引退。
私も思い出のデッキを一つ残して、残りは全て手放しました。
(事実上の引退)

夢を持たず、娯楽を奪われ、趣味を失った。


完全に手ぶらになった状態の私に舞い込んできたのは___



6月26日。
ご神木覚醒の日。

受験勉強だるくなって、何となく数年前にクワガタが採れた“御神木”が気になって行ってみると…
そこにいたのが、







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この、ノコギリクワガタの♀でした。
やっぱり最初の日に見たのは間違いじゃなかった、と確信します。

久々に味わった貴重な昆虫(当時の自分にとっては)を手にする感覚。
これのおかげで虫とりの楽しさを思い出し、採集して標本を作る、というスタイルが確立され始めました。
昆虫採集の未知の領域に踏み込んでいくようになります…




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おそらく次の年、2013年に作ったもの。
初期の頃はデータベース化もちゃんと(ちゃんと?)やってたんですけど、
ブログを書き始めたのもあって最近はあまりやらなくなってしまってましたね…やらなくては。

データベースのおかげで記憶を振り返るのはとっても簡単です(笑)



7月16日。

標本が作れるようになって、真っ先に向かったのは…
今ではゴミムシ夜間ルッキングでお世話になっている某公園です。
埼玉に越してきてからも、何度か当地を訪れてトンボを採りましたが、当然家に持って帰ることはできず…

やっと標本で手元に残せる!!って思ったら全然色が残らなくてガッカリ…
この年の夏に奈良に帰って、ついに奈良県で、今までずっと負け続けてきた場所でオニヤンマの採集を果たすんですが、
そんな念願の個体もすっかり変色してしまいました(汗)

この時から、色残しをやることを決意して、受験の合間合間で情報を集め始めます。


8月7日。
アカボシゴマダラ採集。
一見何でもない日に思えますが、違ったはず。

この日、私は生まれて初めて、
まだ生きた状態の虫を標本にするために自らの手で殺めることをしました。
命と向き合う、というやつをやったんです。


確かこのアカボシゴマダラより前に、別のアカボシゴマダラを採集していたはず。
蝶を〆るには、胸部を圧迫しろと本に書いてあったのでそのままやったんですが、力が入れられなくて死に切りませんでした。
罪悪感にかられてしまった私は、冷凍庫に投入して〆ることに。

数十分後、耐えられなくなって取り出してみると…

まだ生きてた


ダメでした。
あまりに残酷すぎて、耐えられませんでした。
生命力の強さに圧倒されて、とても殺す気になれなかった私はアカボシゴマダラを見逃すことに。
(外来種であると知ったのはこの次の個体から)
傷つけてしまったアカボシゴマダラは、網戸に止めておいたら翌朝飛び立って行きました。

この時私は、自分がやろうとしてる事が本当に正しいのか疑いました。
迷って、悩んで…

でも、結局は逃げてるだけじゃ何も分からないと…次の個体はしっかり標本にすること決意しました。




それで、8月7日に2匹目の個体を採集した時点で、その虫が外来種であると知ったおかげで多少精神的苦痛を伴わずに〆る事が出来ました。

この時、私はちゃんと誓ったはずだった___

これから自分が、どんな風に昆虫採集をやっていくか。




誓ったはずなのに…
今の私は何をやってるんだろうか。

いつの間に、忘れてしまったのか………


アカボシゴマダラを標本にした後は、少しずつ虫を殺すことに慣れていって……




父親から大量に送られてくるクワガタをタコ飼いしつつ、自分で採ってきたクワガタも持って帰ってしまい大変なことに(汗)
この年以降、クワガタを送ってもらうのをやめてもらいました。
クワガタに関してはその場で〆ずに飼育して寿命を全うしてもらってました。


12月16日。

この日、初めて毒瓶を使いました。
最初のターゲットに選んだのは、当時はまだ素手で触ることさえ無理だったカメムシ(外来種マツヘリカメムシ)
毒瓶の中に投入すると、虫がもがくのを見ることになります。
恐ろしい光景で、思わず毒瓶を机の中にしまって見えないようにしてしまおうと思ったんですが、
目をそらしてはならないと、何かが自分の中に働きかけてしばらく眺めていました。

しかも、、買ってきた除光液がアセトン主成分のもので、完全に死ぬまでかなり時間のかかり、昆虫がもがく様子を嫌という程見ることになりました。

この頃はまだ、命を奪う事に罪悪感を感じながら昆虫採集を行っていた。





2013年___当時15歳(高1)。

高校生になりました。
受験に関しては最初っから絶対受かるだろう位のレベルの所を公立一本で狙ったので、受験生時代も昆虫に惑わされましたがまあ何とか入れました。

この年の冬に網や三角缶等の採集道具と標本作成のための道具を一通り揃えて、
高1の春からは昆虫採集に没頭して………
(春休みの間に初めて読んだ、“昆虫採集学”の影響でこの年から採集の対象とする昆虫が大幅に広がりました)

どんな虫を採りに行こうか?

もう何回目になるのか分からない、「ぼくらの昆虫採集」を図書館で借りて読みながら考えた。

虫屋の中でもそれぞれ、「カミキリ屋」とか「蝶屋」とか、特に決まった虫の採集を極める人たちがいる。
自分自身、当時から特に決まった虫を採る傾向はなく、特に決めずに五目屋ってことにしても良かったのですが…

色々採るけど何か一つ、自分の中で極めたいものを決めることに。

カミキリ、クワガタ、蝶…なんて、迷う事は無かった。


極めたい昆虫なんて、ずっと昔から一つに決まってたから…
ただ実現できないって諦めてただけだった。















よし。









今日から俺は…タマムシ屋だ!!!

何て考えていられるうちは幸せだった。

確かに、この年以降採集する昆虫が大幅に増えたんですが、記録に残ってる採集場所は自宅付近の灯火とご神木ばかり。
高校生活は予想をはるかに超える忙しさでした。
主に部活が。

これに関しては自業自得なんですけどね…
生物部無かったし…



高校に入ってわずか2ヶ月程で、学校の方針で大学について考えさせられる羽目に(汗)
昆虫を本気で極めたい、とまあ何となく考えていたのでそれ系の勉強が出来る国立大を探してみる。
家から一番近かったのが、農工大でした(笑)

農工大を調べるうちに見つけたのが、昆虫研究会のホームページでした。

そこで私は初めて、インターネット上の採集記というものを知ります。

「ネットに採集記を書くことなら、誰にでもできるしいろんな人に見てもらえるかも!」
「そういう手段もあるんだなあ……」

なんて思いつつ…
当時は自分用のケータイは持っていたもののネット接続は制限されていて、
パソコンは家族共用のダイヤルアップ接続
パソコンの知識がある人に言うと絶対に爆笑されるやつです(笑)

非常にネットに恵まれない環境だったので、ネットで何かやろうなんて考えもしませんでした。

でも、標本以外に何かしら残す、ということは必要だなと思っていたので、


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ケータイのメールを利用して、昆虫日記を書き始めました。
(これが後に、ブログに進化していくとは思わなかった…)

改めて見ると…たった一種を除いて当時の目標は達成されていたんですね(笑)

前のケータイのmicroSDにしっかりバックアップされてたので(ただし写真はほぼ無い)、どうにか取り出すことができました。
結局はデータ全消しを恐れて途中から紙媒体へ移行してるんですけどね。(実際、データ全消し食らったし…)

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昆虫日記、紙版。

こっちは画像は無しですが、

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何か採集するたびに採集日のメモとかちょっとした事のメモを取るような形で使ってました。


こんな感じで2013年にもなるとかなり多くの情報が残されてるので思い出しやすくて助かりました。
なんか不思議な形で役に立った(笑)


【ご神木覚醒】

ご神木が最も多くの成果を挙げたのがこの年。
部活から帰ると8時半を回っているので、いつも帰るついでに確認出来ました(笑)

6/27
ずっと昔からの憧れの虫の一つ、ルリボシカミキリをご神木で採集する。(昼間)

初めは信じられなかったけど、わずか3日後に追加個体を得て(ご神木)、さらに翌月には同じ市内の雑木林でワンペア採集。
…以外と身近にいて、気がつかなかっただけだと思い知る(笑)


昼間は常に、大量のシロテンハナムグリとカナブン、数頭のアカボシゴマダラとちょいちょい混じるルリタテハで賑わい、
夜はおぞましい数のGと毎日一頭はいるコクワ、カマキリやヤブキリも来ていたり、ちょいちょい見慣れないカミキリやカトカラ追加したり。
キマダラミヤマとアカアシオオアオ(県準絶)、フシキキシタバ(県準絶)、立派なカブト♂などなど樹液の虫たちを採集できました。

結局、一夏の間で30近いコクワに出会い、最後の方はほとんど捕まえなくなっていたくらいでした(笑)

後には、ノコギリクワガタ大歯型も追加して…
団地とは思えないレベルの高さを感じさせてくれました。

今はもう、切り倒されてしまいましたが……



そしてこの年にもタマムシに出会っていました。

2013年9月1日。

夏休み最後の日。祖父に採集に連れて行ってもらいました。
そこで、“偶然”草の上に降臨したタマムシを採集。

持って帰って飼育リベンジすることに。
写真もしっかり撮り、前回の反省を活かして室内での飼育を徹底。

ちょうどこの時は自宅の前に生えている木がエノキなのではないか、という疑惑がかかっていて、
実際にタマムシに与えて、食べてくれたことで確信を得ることができました。
この時は本当に、嬉しかった…

まだ、木を見ただけで判別できるほどではなかったけど、葉っぱを見てエノキが分かるようになっていました。

産卵用に朽ち木(市販品)を入れたものの産まず。
3回目のタマムシ。飼育は、採集した日から数えて8日目で終了。
時期を考えると妥当だったのかもしれません。






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日記を書いてるうちに、なんかブログみたいじゃね!?って少しずつ思うようになります。
自分しか読まないのに誰かに見てもらう前提で書いてるような変な感じがしました。
あの頃から作文能力が全く成長していない…?

写真の日記に書いてある通り、10月中旬に使っていたガラケーが突如故障し、
またほとんどのデータを失ってしまいました。(二代目)
トンボの研究まがいも、二回目のタマムシの写真も、中学時代の友人の連絡先も何もかも…

バックアップを取っていたのに復元できなくなってしまい…
(そもそもタマムシに関してバックアップをちゃんととっていたか怪しい)
→取ってなかった!!本当に無能すぎる!!!(泣)


でも今回は、標本と地道に書き続けた日記が残りました。
形のあるものを残すことの重大さを実感させられた出来事でした。

その後、ついにスマートフォンデビューを果たした私は、
ネット制限が解除され、真っ先に調べたのが「昆虫採集記」でした(笑)

最初にたどり着いたのはやっぱり、siaymitoさんの「へっぽこ昆虫採集記」でした。
中学生(当時)でも昆虫採集についてブログをやっている人がいるなら、高校生がやったっておかしくないはずだ…と思い始めます。



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最後に日記にメモを書き残したのは10/25。


それから2日後の10/27___遂に初のマイマイ採集、初のガチ昆虫採集へ。


「今日、もしマイマイカブリが採れたら採集記ブログを始めよう!」

そう決意して、なんともあっけなく目標を達成し(汗)、(該当記事)書いた通りの思いを経て、

日をまたいで、
2013年10月28日

初めてのブログとなる、
「高校生のガチ昆虫採集記!」をスタート。


他に高校生でガチな昆虫採集をやってるブロガーさんをこの時見つけられていれば、こんなタイトルにはならなかったはずだ…(笑)







思い出せることはこれで全部です。
なんか思い出すたびにちょいちょい追記していこうかなとも思ってます(笑)



ブログ開設からの昆虫との思い出は、このブログに全て書いてきたつもりです。
もう、スマホのデータが消えようが何も失わないはずだと信じています。
(このブログがfc2に消されたら終わりなんですけどね…)


今までたくさん失敗して、たくさんのものを失いました。
だからこそ今度は絶対に残してみせる。残せるだけのこと全部。

大学入ってからも続けられるといいな…


と言うわけで、史上最長記事になったんじゃないかと思ってますが、
本記事は前フリです。

しっかり記憶整理できてよかったです!


ここから本編に、続きます(笑)


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